駅からあるき by DJ Kei
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夜行列車あれこれ

昭和の時代,夜行列車は人々の長距離移動に無くてはならないものであった.しかし航空路線の拡大と利用の一般化,高速道・幹線道の整備に伴う夜行バスの充実,昼行列車のスピードアップ,ライフスタイルの変化,そして格安ホテルの増加などに伴い,また夜行列車や寝台列車はろくろく設備投資されないまま旧態たる車両設備を使い続け,その結果,人々は夜行列車や寝台列車には見向きもしなくなった.最近ではLCCの登場などでその環境はますます厳しくなっている.
私は個人的に夜行列車好きであり,またそれだけでなく,実用的にも夜行列車にはまだまだ活躍の場があると思う.しかし運行している鉄道会社のすべてが,経営的にはとっくに夜行列車を見放しているという状況である.そういった状況もあり,夜行列車はここ数年で廃止が加速されてきており,近い将来すべての夜行(寝台)列車が姿を消すのではないかと予想される.
鉄道会社が夜行列車を見放す原因ははっきりしている.乗車率が高くないと儲からないからである.たとえば新幹線は,大量の客を短時間で一気に長距離運ぶことができるから,収益性は抜群である.区間を何往復もさせられるから,車両の利用率も高くできるし,座席車だからつめこみがきく.自由席ならば立席客だって認められる.それでいて乗客は高い特急料金を払ってくれる.鉄道会社にとっては,新幹線はまさにドル箱なのである.それに比べて,夜行列車や寝台列車は,車両の定員が少なく,時間がかかり,寝台車は特に夜しか車両が利用できず,昼間は車庫を占有し邪魔者扱いとなる.そして夜間勤務を必要とするので労務費だってコスト高である.よほど乗車率が高くなければ採算が合わないのだから,経営的に夜行を敬遠するのは当たり前である.話がそれてしまったが,ここでは,乗車したことのある夜行(寝台)列車についての記憶をたどってみることにした.また,現在残されている夜行(寝台)列車についての紹介も簡単に行いたい.

急行「紀州5号」

(乗車区間:名古屋→紀伊勝浦(亀山経由),運行区間:同左,自由席?)

初めて乗車した夜行列車は,確かこの列車だった.小学生の時であり,もちろん家族で利用したのだが,とても興奮していてよく寝付けなかったのを記憶している.この列車は,名古屋から亀山を経由して紀伊勝浦へ向かっていたが,亀山でスイッチバックした時には驚いて,名古屋へ戻るんじゃないかと思ったのをはっきりと覚えている.到着後は,確か串本の海中公園へ行ったが,それ以外に行った場所はあまり覚えていない.また,自由席だったか指定席だったかのはっきりした記憶はないが,早めに駅へ行ったような覚えがあるからたぶん自由席だったと思う.帰りは,やはり急行の紀州6号?で,この列車は伊勢線(現在の伊勢鉄道)経由だった.

急行「つがいけ51号」

(乗車区間;名古屋→簗場,運行区間:名古屋→信濃森上,自由席,臨時列車)

初めて単独での夜行利用は,この列車.高校1年の夏休みだった.当時の信州ワイド周遊券利用で,夜行日帰りだった.車両形式は165系だったと思う.列車はかなりすいていた.早朝の仁科三湖に寄るために簗場まで乗車し,海ノ口まで徒歩移動した.その後小海線に乗車し,小諸の懐古園に立ち寄った後,長野から「しなの」で帰ってきた.小海線は,雷雨のため途中区間が代行バスだった.

急行「だいせん5号」

(乗車区間:大阪→米子,運行区間:大阪→出雲市,自由席)

高校1年の春休み,山陰と山口県の旅行のために利用.山口・秋芳洞ミニ周遊券利用だった.そのため,急行「たかやま」(自由席)で岐阜から大阪へ行き,そこからこの「だいせん5号」を利用したのだった.急行の自由席は追加料金不要なミニ周遊券ゆえ,だいせん5号も当然自由席利用だったが,当時「だいせん5号」は7両編成で,自由席は1両のみだったので,早めに乗車ホームへ行って列に並んだ.車両は14系客車で,4人掛けのボックスシートはすべて埋まり,窮屈だった.また,大阪から福知山線区間は,先行する普通列車とのスピード調整のためか,とてものんびり走っていた.そして真夜中の暗闇の中,餘部鉄橋を渡った.時間調整のため夜明け前の米子で下車しその後松江へ向かい,松江城を見学した.また,当時残っていた50系客車列車に松江から乗車して出雲市の次の駅(当時の駅名を忘れたが,今の西出雲)で下車しようとしていた.が,この列車は出雲市で56分の長時間停車があり,その間に睡魔がおそい,寝過ごしてしまい,目覚めたのが田儀停車中.慌てて下車してしまい,次の列車までぼんやり過ごしたことなどを覚えている.翌日,急行「さんべ」を利用して山口県入りし,秋芳洞や萩,津和野,青海島などをまわった.50系は,長門市から下関の移動にも使用した.SLやまぐち号に乗ったのもこの旅行の時だ.

寝台特急「さくら」

(乗車区間:下関→新大阪,運行区間:長崎・佐世保→東京,B寝台)

上記の山陰・山口旅行の帰りに,「さくら」に乗車した.寝台特急の寝台車というだけで,当時高校生の自分にとってはとてもまぶしい存在であった.B寝台(2段式)の上段だったはずである.下関発が20:30ごろで,名古屋(翌朝6:30頃着)までの利用の予定だったが,強風のためダイヤが乱れて,途中の新大阪までに運転区間が短縮.新幹線始発列車への乗車(便宜乗車)を余儀なくされた.予定の全区間が乗れずに残念だった.

急行「きそ51号」

(乗車区間:名古屋→妙高高原(長野から快速),運行区間:同左,自由席,臨時列車)

高校2年の夏休み,この列車に乗車した.列車は14系客車.自由席利用で,臨時列車だけあって乗客は少なかった.信州ワイド周遊券利用で,1週間ほど長野県を中心に回るための旅行だった.しかし,この列車の利用後,1日だけ18きっぷで遠征をして,新潟県の蒲原鉄道(五泉-村松,現在は廃止)に乗りに行った.蒲原鉄道は当時,五泉-村松間のみが残っていて,それに乗りに行ったのだった.蒲原鉄道の記憶も強く残っているのだが,それよりも途中の信越本線から見る海の青さ,帰りに飯山線に乗車したときの信濃川の美しさなどがとても印象的であった.飯山線の列車は窓が開けられたが,トンネルに入ったときの空気の冷たさも強烈な印象に残っている.このときの旅行では,その後上田交通(現在上田電鉄)にも乗っていて,当時まだ現役で走っていた丸窓電車にも乗車した.また,帰りには飯田線を乗り通した.その他,小海線では「ときめきの恋列車」という臨時快速列車に乗車し,伊那-高遠の国鉄バス,さらには高原バスとして知られていたビーナスラインを走る国鉄バス(今は諏訪バスなどが運行)にも乗車した.当時山歩きには縁がなかったが,そんな私でも窓から見えるニッコウキスゲの群生がとても印象的であった.

快速(通称・四国夜行)

(乗車区間:高松→伊予大洲,運行区間:高松→宇和島・中村,自由席)

大学1年の夏休みに,四国をひと通り回る旅行をしていたのだが,そのとき途中で利用した列車.正式な列車名はついておらず「四国夜行」と呼ばれていた列車である.今では信じがたいが当時は四国内で完結する夜行列車があった.もっとも,四国相互間の利用だけではなく,瀬戸大橋開通前は連絡船と接続して本州からの利用をもくろんでいたようだ.車両は気動車(形式は忘れた),シートは4人掛ボックスシートで,車両の端だけ2人掛になっていて,その2人掛の部分を占有して利用していたような覚えがあるから,列車はそれほど混雑していなかったと思う.伊予大洲で下車して,予讃線の海回りの列車で引き返したのだが,海回りの列車が50系客車であり,肱川の清流がとても美しかったこと,そしてその後展開される海の眺めがとても良かったことが記憶として残っている.この旅行で,四国のJR線はすべて乗車した.

急行「きたぐに」

(乗車区間:米原→富山,大阪→長岡,大阪→新潟,新潟→大阪,運行区間:大阪←→新潟,A寝台,B寝台3段,自由席)

きたぐに急行「きたぐに」は何度か乗車している.最初に乗車したのは,米原から富山までの乗車であった.当時発売されていた「ルート周遊券」というのを利用して,黒部峡谷鉄道と立山黒部アルペンルートに行くためであった.米原から自由席利用だったので座席を確保するのに苦労した.富山で下車して,富山地方鉄道に乗って宇奈月まで行き,その後はアルペンルートをまわったが,アルペンルートは猛吹雪で,外に一歩も出られないまま下山してきた.
その後の乗車は,ほとんどが最近の乗車で,いずれも寝台車である.JR只見線・磐越西線乗車のためや,尾瀬へ行くための利用である.一番印象的だったのは,夏休みお盆前の乗車の時.尾瀬行き目的で利用した.時期が時期だけに,もちろん列車は満席であったが,敦賀あたりで列車が野生動物と衝突し,ブレーキホースが破損して,立ち往生.結果として,快適な寝台車で長岡まで乗るはずが,敦賀から代行運転の485系の座席(普通車)に座らされた.代行列車でももちろん満席,というより座席が足りない状態であったし,通路に立つ乗客も多かった.またダイヤが乱れていて予定していたルートでは尾瀬に入れないことが確定していたので,代行列車はさっさと見捨てて,直江津で下車し,北越急行線+JR上越線で沼田へ行き,尾瀬へ入山した.ダイヤが乱れていて予定を立て直す必要があったので,車掌からJR時刻表を借りて(JTB版を愛用する私には使いづらかった)接続を調べていたのだが,車掌に聞いても代行列車がどの程度遅れるかがわからないというから,最後は勘を頼りに乗りついでいくしかなかったが,運良く乗り継ぎはうまくいき,何とかその日のうちに尾瀬入山できた.いささか負け惜しみにはなるが,予定変更を余儀なくされるときに,時刻表を駆使していかにプランニングを工夫できるかが腕のみせどころであり,鉄道旅行の醍醐味である.これが出来ない人は,ただただ文句をたれ,二度と夜行列車なんか利用するものかという気になるのがオチである.このようにトラブルを楽しみに変えてしまえるところが鉄道旅行の楽しさであり,飛行機や高速バスではできない芸当ともいえる.2012年から不定期化され,編成やダイヤも変わってしまい,昔の夜行列車らしさはかなり失われてしまった.そして2013年正月の運転を最後に廃止となった.

急行「能登」

(乗車区間:金沢→上野,運行区間:同左,B寝台3段)

乗車当時,急行「能登」は信越線(長野)経由であった.列車は14系客車で,B寝台3段式を利用した.窓から夜の海を眺めた記憶があるから,たぶん下段だったと思う.北陸を旅行(兼六園訪問や「北陸鉄道」乗車)していて,その後福島県方面へ出かける用事があったので,東京(上野)までこの列車を利用した.というよりも,この列車に乗るのが第一目的であり,そのために福島県に先立って北陸旅行を企てたというべきか.碓氷峠越えのところでは,寝台で横になりながらも列車の勾配を感じた.

急行「はまなす」

(乗車区間:札幌→青森,運行区間:同左,B寝台)

1995年春頃だったと思うが,北海道からの帰りに利用した.14系客車の,利用したのは2段式B寝台だったが,上段か下段かははっきりと覚えていない.この後青森から特急「白鳥」に乗って京都まで乗車(当時の「白鳥」は大阪-青森の運転)し,その後新幹線で名古屋へ戻ってきた.春休みで3月末に近いせいか,集団就職っぽい団体客が自由席(指定席だったかも?)に乗っていたこと,青函トンネル区間を走っていたときに少しだけ起きていたことを覚えている.JRの中で最後の定期客車列車(観光列車を除く)&定期急行列車である.

急行「ちくま」

(乗車区間:米原→木曽福島,大垣→木曽福島,運行区間:大阪→長野,グリーン車)

ちくま「ちくま」を利用したのは,木曽御嶽山への登山利用のためであった.木曽福島に2時30分ごろ到着し,3時40分ごろ出発するバスに乗って田の原(登山口のあるバス停)へ向かった.現在は,「ちくま」および夜間運行バスともに無くなってしまった.1回目の乗車の時には,東海道本線の稲沢近くの踏切事故のため,1時間以上遅れていたにも関わらず,木曽福島には定刻に到着したことなどを覚えている.余裕時間がありすぎるのだろう.2回目の利用時には,定刻運転だったが,途中の運転停車でたっぷりと停車時間をとっていた.

快速「ムーンライトながら」

(乗車区間:名古屋→横浜,運行区間:大垣→東京,指定席)

山梨方面のハイキング(5月中旬)に行くために利用した.金曜発の夜行ということで,指定券を買わない通勤利用もとても多く,立ち席が目立ったこと,浜松や静岡あたりからの乗車も多くて驚いたことなどを覚えている.ただし18きっぷシーズンではないだけに,それほどの混雑もなかったのは幸いだった.東京まで乗り通す客が多く,横浜で下車した客が少なかったのは意外だった.2021年,廃止が発表された.

寝台急行「銀河」

(乗車区間:東京←→大阪,運行区間:同左,A寝台,B寝台)

銀河私にとって,一番利用した回数が多いと思われる夜行列車.2008年に廃止になったのは,ただただ残念.A寝台上下段,B寝台上下段とも利用経験有り.

銀河尾瀬からの帰り,関東地方への鉄道旅行,そして目的もなくただ寝台列車に乗りたいだけの時にもよく利用した.

銀河最後に利用したのは,廃止1ヶ月前だったが,徹夜して,全区間窓の外を眺めて過ごした.関ヶ原近辺では大雪の中を走行して,終点大阪までそれを持ち運んできた.

この列車に関しては,廃止から10年ほどたった今でも廃止を惜しむ人が多い.

寝台特急「富士・はやぶさ」

(乗車区間:東京→熊本,運行区間:東京→大分・熊本,B寝台個室)

2006年の夏に利用した.所用で九州に行くために,利用した.所用は月曜日にあり,土曜日の夕方東京を出発して前日に熊本入りし,所用に備えたというノンビリ出張であった.名古屋在住(当時)の私だが,わざわざ新幹線で始発の東京まで行き,そこから利用した.それ以来利用はご無沙汰で,利用機会はそれきりとなった.

寝台特急「日本海4号」

(乗車区間:青森→大阪,運行区間:同左,A寝台個室)

日本海2007年に,青森方面の鉄道旅行の帰りに利用した.青森から大阪までのロングランだったが,全く退屈することはなかった.

日本海このときは,A個室寝台利用目的で,乗車そのものが目的であった.早朝に目覚めると,車窓に広がる夜明け前の日本海が最高に美しかった.あんなに快適なA個室寝台はもう味わえない.

日本海そしてA個室寝台は,すこぶる快適だった.何時間でも利用していたいと思わせるような快適な列車旅を提供してくれた.

「尾瀬夜行23:55」

(乗車区間:浅草(北千住)→会津高原尾瀬口,運行区間:同左,指定席)

尾瀬夜行尾瀬へ行く時によく利用している.何回かの利用のうち,1度だけ北千住から乗車したことがあるが,あとはすべて始発の浅草から乗車した.

尾瀬夜行座席車のみ.ただし極端なハイシーズンでない限り,2人掛けの2人とも埋まることはまれ.座席に横になり寝ていくこともできる.このとき大きめのザックがあれば,そこに頭をおいて枕代わりになるのでちょうどよい.

この列車は,今でも運行を継続中である.(シーズン中の週末を中心とした季節運転)

寝台特急「あけぼの」

(乗車区間:青森→上野,運行区間:同左,A寝台個室)

あけぼの2008年に,青森方面の鉄道旅行の帰りに利用した.A個室寝台利用目的で,乗車そのものが目的であった.12時間以上の乗車なのに物足りないぐらいだった.

寝台特急「北陸」

(乗車区間:金沢←→上野,運行区間:同左,B寝台個室)

北陸2006年の春,所用の帰りに乗車したのと,2008年に,乗ること自体を目的として乗車.帰りに高速バス乗車を目論んでの乗車でもあった.区間が短すぎて物足りないぐらいだった.

北陸いずれの時も,上越県境付近では大雪の中の走行となり,真夜中ながらも雪の様子はよく見えた.まさに夜汽車の雰囲気であった.

寝台特急「サンライズ瀬戸」

(乗車区間:東京←→高松,東京→松山,東京←→坂出,運行区間:東京←→高松・松山,A寝台個室,B寝台個室)

サンライズ瀬戸四国に引っ越すまでは乗車機会がなかったが,引っ越した途端に乗車機会が増えた(自然に増えた部分とむりやり増やした部分もあるが).寝台はすべて個室なので,上り列車に乗るときは,瀬戸大橋を渡る時に照明をすべて消して夜景が見られるようにすることもできる.下り列車に乗るときは,早朝の瀬戸大橋の眺めを堪能する.この列車の目玉は,個室から瀬戸大橋からの雄大な眺めが得られることだと思っている.

この列車は現在も運行を継続中であり,シーズンには下り列車に限り琴平まで延長運転を実施している.

現在運行中の夜行(寝台)列車

寝台特急「サンライズ瀬戸・サンライズ出雲」

平成になって誕生した電車寝台.寝台設備は全個室という豪華さである.今後最も長生きしそうな列車の一つ.2009年4月から四国へ住み始めた私にとっては,最も利用機会のある夜行列車となった.現在,唯一の定期夜行列車となり,週末を中心にチケットがとりにくい状況となっている.夜行バスと違い,増便や増結などの措置が容易でないのが寝台列車の欠点でもあり,しばらくはこんな状況が続きそうだ.

尾瀬夜行23:55

シーズン(5〜10月)の週末を中心に運転される.私鉄唯一の夜行列車であるが,かなりの老舗列車でもある.ただ昔は23:50発だったりして列車名のマイナーチェンジはある.オール座席であるあたりは,いかにも登山・ハイキング列車らしいが,乗車時間が短いので.座席で十分だろう.基本的には,東武トラベル(現:東武トップツアーズ)の主催旅行という形で運行しているようだ.この列車に関しては,尾瀬の入山規制でもしない限りは,廃止の可能性はほとんどない.なお,2016年からは,秋の紅葉シーズンを中心に日光夜行が運転されるようになった.

その他詳細はJRの公式サイトや時刻表を参考にして欲しい.

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